安曇野の話題ではありませんが、行動の足跡としてお届けします。
① 梅野記念絵画館・ふれあい館
② 水村喜一郎美術館
③ 丸山晩霞記念館
美術館巡りの好きな2人 (マリちゃん、ハルちゃん) と行動を共にしました。
神明池を中心に広がる芸術むら公園にあります。
初代館長の梅野隆※1 は……
「才ありながら不遇のままに逝った画家たちの作品を蒐集(しゅうしゅう)し、再評価を求める顕彰活動」を生涯のテーマとして活動してきました。
梅野記念絵画館とは……
梅野コレクションの寄贈作品を基に、1998年、浅間連峰を一望する東御市芸術むら公園内に開館しました。
近代美術史上、忘却されつつある画家の研究と展示を中心に、地元作家の展示や教育普及活動など幅広い活動を展開しています。
喫茶コーナーのあるホールからは、浅間連山が一望できます。
美しい景色を眺めながら、ゆったりとした時間を過ごせる素敵な場所です。
大展示室では「館所蔵品精選展」、ふれあい館・小展示室では「佐藤文音展」が開かれていました。
-ふしぎな絵本と版画の世界-
北海道小樽市出身。
武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画専攻卒業。
佐藤文音は「この世に存在する不確かなもの」をテーマに、ささやかな非日常を描き出す版画作家です。
日本だけでなく海外の版画賞にも入選しています。
2018年にボローニャ国際絵本原画展※1 に入選したことをきっかけに、絵本「ふしぎなニャーチカ」※2 (2021年、神宮館) や「宝石少女」(2022年、不忍画廊) を刊行するなど絵本作家としても活躍しています。
作品制作を通して、現実とは離れて、夢の中の景色のような、けれどもどこか懐かしさも感じるような不思議な世界を創出します。
今回は、「ふしぎなニャーチカ」「宝石少女」の絵本原画を中心に、シルクスクリーン、リトグラフ作品※3 や水彩画などの幅広い作家のアートワークを展示しています。
石版石や金属板の平らな版面を、油性インクを引き付ける部分と弾く部分に化学的処理で分離し、水と油の反発作用を利用して専用のプレス機により刷る版画。
版面に直接描いた絵を、ほぼそのまま紙に刷り取れるのが特徴。
1946年、東京都墨田区に生まれます。
7歳の頃から絵を描き始め、9歳のときに高圧電線で感電し両腕を肩から失います。
不自由さを伴いながらも、先生や友人たちの温かい応援を受けながら、手の代わりに口と足を使って生活の全てにわたり何事にも果敢に挑み、自助の精神を貫き通しました。
小さいころから画家を夢見て、口に絵筆をとり、14歳の時から油絵を描き始めます。
17歳の春に初めて公募展に入選。これを機会に油絵への情熱が高まり、創作活動に打ち込み、数々の賞を受賞しました。
日本各地からヨーロッパ、アフリカ、アジア各国を訪ねました。
静寂と安らぎを宿す世界を独特の美しさで描き、「描く詩人」といわれ、技術とその絵の持つ力は傑出しています。
2013年5月、東御市海野宿に開設しました。同年8月には、水村氏の作品を御所に飾っている天皇皇后両陛下(今の上皇上皇后両陛下)が来館され話題となります。
2005年に梅野記念絵画館で個展を開催したことがきっかけとなり、当時、館長を務めていた故梅野隆氏の熱心な勧めや多くの支援や後押しを受けてオープンすることになりました。
深く濃い色を基調とした作品から感じられる懐かしさと寂しさは、「生まれ育った東京の下町が原点」とのこと。
館内では、明かりにこだわった落ち着いた雰囲気と静かに流れる懐かしい空気を味わうことができます。
東御市出身の水彩画家・丸山晩霞の顕彰のために、2006年11月に開館しました。
東御市文化会館と併設されています。
1867年、現在の東御市祢津に生まれます。
水彩画家であり、生前「自然に対して食い下がるという求心的で熱烈な精進と気魂」を持ち、山岳や信州の田園を題材に数々の秀作を生み出しました。
1900年に渡米、渡欧し大成功を収めます。
帰国後、太平洋画会、日本水彩画会の中心的人物として、水彩画を発展・普及させたことから「水彩の明星」と呼ばれました。
丸山晩霞の描いた水彩画には漂うみずみずしさと透明感があります。
次回またお逢いしましょう~