安曇野の道祖神(1)

道祖神について

道端で道祖神を見つけたとき、
彫られた文字碑や、男女2体が寄り添って浮彫りされた石像などに
遥かな思いや、遊び心がつき動かされることはないでしょうか。

 

道祖神自体は全国に広く分布していますが、特に関東甲信地方には多いとされています。それは、地域の歴史や信仰、自然環境などが要因と考えられます。

 

 

安曇野市と道祖神

安曇野市は「道祖神の里」「道祖神の宝庫」といわれています。
彫刻の種類や表現の内容からも実にバラエティに富んでいます。
文字を刻んだ石碑でけでなく、仲睦まじい男女の姿の神像が刻まれた石碑も多くあります。

男女二人の神が仲良く並んでいる双体像碑は300基以上確認されています。
(長野県内では3000基ほど確認されていますから、安曇野には約1割もあることになります。)
「道祖神」と刻まれた文字碑を合わせると、安曇野市は約500基以上の道祖神があるとされ、単体の市町村では日本一と言われています。

安曇野では、道祖神を「ドウロクジン(道睦神)」「ドウソンジン」「サイ(サエ)ノカミ(塞神)」などと呼んでいました。今では「ドウソジン」と呼ぶことが多くなりました。

 

■ 道祖神とは

道祖神は、村の守り神として、多くは村の中心、村の境や道の辻、三差路に立っています。
道祖神は、村境で悪霊や悪い病が村へ入るのを防ぎ、旅人の安全を守り、五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄などを祈願する最も身近な神で、江戸時代中期(1700年代)のものまで確認がされています。

 

具体的な男女像を安曇人独特の知性とユーモアで造り上げたものといえます。
男女が遠慮がちに寄り添って立つもの、何気なく手を握るもの、堂々と腕を組むもの、愛をこめてぐっと抱きしめるものなど、その姿態はさまざまです。

多くの場合、道祖神と同じところに庚申塔 (こうしんとう)二十三夜塔 (にじゅうさんやとう)が祀られています。

※庚申塔
中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石碑、石塔のこと。単に「庚申」と刻まれたものや「庚申塔」と刻まれたものがあります。

※二十三夜塔
二十三夜とは、陰暦の23日夜のこと。この夜、月待ちをすると願いが叶うという俗言によって、月の出を待って会食や余興をして祭事をした。その記念や供養のあかしとして建てられたもの。

 

■ 安曇野の道祖神の数

石田益雄氏のまとめられた分類表がありますので掲載します。
分類は、安曇野市の誕生する前の南安曇郡の表記によるものです。

 

南安曇郡とは

1879年(明治12年)に行政区画として南安曇郡が発足しました。
現在の安曇野市の大部分と松本市の一部 (奈川を除く島内、梓川倭、梓川梓、梓川上野、安曇以西) が含まれていました。

2005年(平成17年) 4月1日に梓川村・奈川村・安曇村が松本市に編入しました。
これにより、南安曇郡は穂高町・豊科町・堀金村・三郷村の2町2村となりました。

さらに同年10月1日、南安曇郡は東筑摩郡明科町と合併し安曇野市が発足したのです。
これにより、南安曇郡は消滅しました。
これが「平成の大合併」です。

 

 

道祖神の種類

文字碑

「道祖神」「大黒天」のように神の名を刻んだ石碑のことです。
大小さまざまな形の石に「道祖神」の文字を楷書体、草書体、篆書体などで彫り込んであります。
中には当時名のある書家にかいてもらった見事な書体の文字碑もあります。
「幸神」と彫られたものもあります。

※大黒天
日本の七福神の一神で、商売繁盛や五穀豊穣、家庭円満を司る神として信仰されています。大黒天は、しばしば頭巾を被り、左肩には大きな袋、右手には打ち出の小槌を持ち、俵の上に立つように表されることが多く、米や食物、金銭を象徴するものとして扱われます。商売をしている人々や農家などにとって、特にご利益があるとされています。

 

像容碑

道祖神の姿を浮彫りにした石碑のことです。
安曇野の道祖神像容碑のほとんどは、男女双体の神を刻んだ「双神像碑(双体像碑)」です。
双神像碑のうち

(1) 握手像

円輪や鳥居の中で様々な衣装や髪型をした男女の神が、睦まじく肩を抱き合い、前で手を握り合って、握手している像です。
向かって右側に男神、左側に女神が彫られているのが一般的です。

 

(2) 酒器像(祝言像)

男神が盃(さかづき)を持ち、女神が瓢(ふくべ)や提(ひさげ)などの酒器を持ち、祝言を表しています。
男女神の位置や衣装は握手像と同じですが、女神がひざまずいている跪坐像もあります。

 

(3) 笏扇像

神主姿の男神が笏(しゃく)を持ち、女神が扇を持っています。
女神が巻物を開いているものもあります。

他にも、蚕の繭を手にした道祖神などもあります。


■ 近年では次のような道祖神碑もあります。
個人宅や企業・商店などでも家内安全、商売繁盛などを願って建立されたもの。
交通安全などを願って橋のたもとに設置されたもの。
テレビドラマの撮影用に作られ、観光名所となったもの。
イベント道祖神とか観光道祖神などと呼ばれてることもあります。

 

 

 

安曇野の道祖神の特徴

(1) 双神像が多い。

特に握手像が多く、酒器像との比は2:1です。

 

(2) 花崗岩の自然石を用いて造られたものが多い。

中房川、烏川の源流から流れ出した良質の花崗岩が、この地域には豊富に存在していて、形の良い大形の石が使われています。

 

(3) 屋根の付いた柵の中に祀られているところが多い。

 

(4) 彩色された道祖神が多い。

今でも祭りに色が塗られたり、文字に墨入れしたものなどがあります。
彩色像は穂高神社の遷宮祭に飾られる人形や、村の氏神の祭りに曳かれる「お舟」の人形の影響を受けていると思われます。

 

(5)「帯代」を刻まれた像碑、文字碑が多い。

 
なぜ、安曇野に道祖神が多いのでしょう?

安曇野に大きな道祖神が多いのは、川に大きな花崗岩が多かったからだと思われます。
花崗岩は硬く、美しく、丈夫で耐久性に富んでいるため、建築物や暮石などに使われています。
そして、扇状地だった安曇野に新田ができ、道祖神を作って誇示する風潮も手伝ったと考えられます。

 

 

御船会館

穂高神社の境内に「御船会館 (穂高神社資料館)」があります。
主に御船祭の資料等が展示されていますが、会館の一角に道祖神展が設けられており、写真や拓本など、安曇野の道祖神について貴重な資料を見ることができます。

▼ 御船会館外観
▼ (左) 穂高狐島下木戸の道祖神  (右) 最も古い形の道祖神
▼ 写真展

 

安曇野の道祖神について、具体的な場所や写真については、次の記事で紹介します。
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