安曇野市穂高のカフェ「君ノ珈琲」でシェアキッチンとして、「カレーのGEN」はオープンしました。
チラシで目につくのは
元・安曇野の仙人が安曇野へ帰ってきました!
安曇野プレミアムカレーのGEN
のフレーズ
何やら深いストーリーが秘められていそうです。
バングラデシュカレーをベースに、コクとマイルドさを加えた味を追求してきたといいます。
安曇野で「カレーのGEN」がオープンしてから3週間ほど経った6月の下旬、食事を楽しもうとお店に寄りました。


2025年6月6日、シェアキッチン「君ノ珈琲」で「カレーのGEN」がオープンしました。
「カレーのGEN」店主は濵 重俊 (はま しげとし) さん。
濵さんは、6月1日に上田市鹿教湯(かけゆ)温泉のお店での営業を終え(約40日間連続という目一杯の日常をこなされてきた)、その後わずか5日間で安曇野でのお店をオープンしたのです。
穂高は濵さんの祖父母が住んでいた場所です。
濵さん自身も、穂高にある大王わさび農場に勤務していた経験があり、そこでは広報室長をされていました。
自称「わさび仙人」別名「わさび忍者」と呼ばれていたのです。
そんな経緯もあり、今回のお店のオープンは「安曇野へ帰ってきた」と言えるのです。
▼ 「白扇」の誕生
上田市鹿教湯温泉で、女性店主(生田千鶴子さん) が営む人気のカレー店「白扇 (ハクセン)」がありました。
「白扇」は1999年にオープンしています。
店主の千鶴子さんが一人で切り盛りし、バングラデシュのシェフ直伝のレシピを日本人向けにアレンジして提供していました。
大量の玉ねぎをじっくり炒め、スパイスを加えて数時間煮込むなど手間をかけた味が人気を博していました。
「白扇」は県内外など遠方から訪れるファンも多かったといいます。
ところが、2017年5月、店主の千鶴子さんががんで他界され、閉店を余儀なくされました。
朗らかな店主を中心に、常に笑い声が響いていたお店は、これを境に鳴りを潜めました。
店は閉ざされたものの、千鶴子さんの夫・生田淳一さん(和菓子店経営)は面影を残そうと3年もの間、店を最終営業時のままの状態に残していたのです。注文票、カレンダーもその日のままでした。
2020年11月、淳一さんらが取り組む鹿教湯温泉活性化のプロジェクトに協力しようと、ローカル雑誌の編集者であった濵さんが鹿教湯温泉を訪ねたのです。
その際、「白扇」の店内を見学し、千鶴子さんの地元への想いを聞き、そのエピソードに心を動かされた濵さんは、「もう一度息を吹き込み、このままの状態で店を復活させたい」と申し出たのです。
料理は全くの未経験。しかし、当時冷凍されたままのカレーソースや詳細なレシピも残されていて、それを元に試行錯誤の繰り返しが始まります。 (下の動画参照)
白扇のカレーをよく知る軽井沢のカフェ「フォルテ」のマスターであるコウさんに協力を仰ぐなど、名物バングラデシュカレー復活に向けて取り組んだのです。
2021年5月2日、ついに「白扇」が復活オープンします。1460日ぶりに閉ざされていたお店が動き出したのです。
千鶴子さんから濵さんへ、地域復興への想いがリレーとなり、奇跡のカレー復活物語が誕生したのです。
濵さんは言います。
「ここは千鶴子さんからの預かりもの。僕がまず時間を動かし、そして次につなげるのが僕の使命」
当初は忠実にレシピ通りに作り続けましたが、自分なりの工夫を加え、現在のカレーにたどり着きました。
4年間、松本市から鹿教湯温泉まで、三才山を車で通い続けましたが、日に日に峠越えの通勤に不安を覚えるようになりました。
1945年5月生まれの濵さんは、80歳を一つの区切りにしようと決めていました。
そんな折、シェアキッチンのオーナー山田さんと出会い、その後の道が決まったのです。
そして、2025年6月1日に白扇を閉店したのです。
濵さんは「80歳を仕事道としての人生行路の頂点と考え、その後は "楽しみの元気" で人生を歩く」を持論としていました。
▼ 入店してすぐのカウンター席


営業は木~月曜日の11:00~15:00 (火・水曜日は定休日)
メニューは「幻の安曇野プレミアムカレー」と「無敵のゴロゴロビーフカレー」


カレールーに入るスパイスは、シナモン、カルダモン、ローリエなど約15種類。
手間をかけた発芽酵素玄米の上に、カボチャ、ナスなど新鮮な季節野菜の素揚げが載ります。
食後の珈琲も、カレーに合う豆が選ばれ、ゆっくりと珈琲でくつろぐことができます。
君ノ珈琲の人気メニュー「東京ぷりん」も提供されていました。


バングラデシュカレーが「幻のカレー」と言われたことから来ています。
元気、表現、原稿など "げん" という響きが好きだったことも理由だと言います。
「君ノ珈琲」は山田顕司 (やまだ けんじ) さんが、以前飲食店だった店舗を活用して、2022年4月にオープンしました。
宿泊もできるカフェとし、2階が宿泊施設として利用できます。


山田さんは、子どもの頃、大阪から安曇野へ家族で移住されました。
その後、上京して飲食店に勤務し、2018年に安曇野に戻って来ました。
一時は、週の前半は穂高有明にある「虹の村診療所」でスタッフとして勤務し、週末に「君ノ珈琲」を営業するという多忙な生活を送ったこともありました。
山田さんは濵さんに出会い、その人柄に惚れたと言います。そして、ボランティアとして、「カレーのGEN」を支えています。
▼ 濵さん


2025年6月現在80歳、松本市蟻ケ崎在住。
紙芝居作家 (モリノフクロウ)、執筆業。
著書に「深志物語:友よ、命の歌を (上・下)」「とんぼ達の歌」があります。
文筆家として信州のローカル雑誌の編集や取材をこなし、大王わさび農場で働いた経験もあります。
さまざまな業種を経験する中で、一貫してのこだわりは地域に貢献すること。
そして思い立ったら「一気阿成に仕事を進めてきた」といいます。
「やると決めたら一気にやっちゃえっていうタイプ」と自分について語っています。
黒い帽子に着けたトンボのブローチが目につきます。母校である松本深志高校の校章がトンボで、尾が歪曲しているトンボの形が特徴的です。
黒装束(くろしょうぞく)による忍者姿も独特です。
「寝ても覚めてもカレーの事ばかり考えているため、目が覚めたとき、夢か現実かゴチャゴチャになって間違えることさえある」と話します。
吉川英治の詠んだ句「あめつちの 中に我あり 一人あり」※ に心惹かれるといいます。
天地の中のちっぽけな私が、自分ひとりの力で生きているのではなく、ありとあらゆるものに支えられて生かされている身であり、有難い存在である、という意味です。
「天上天下」は「この天地 (あめつち)」のことで、全世界、宇宙と考えてもいい。「唯我独尊」は「かけがえのない私」のこと。「この天地 (あめつち) に、かけがえのない私がいま、ここにある」の意。
そして、吉川英治は上のように訳したのである。
「あなたがいて、この私がある。この私がいて、あなたがある。だから、あなたも私もそれぞれに尊いのだ」と教えている。
YouTubeの「濵重俊わさび仙人ちゃんねる」より、千鶴子さんの幻のカレー復活に向けての動画を紹介します。場所は鹿教湯温泉「白扇」です。
▼「鹿教湯温泉・カレーの店『白扇』 千鶴子さんの幻のカレー」
わさび仙人の濵さんが何故カレー店をしようとしたのでしょうか。
その問いに「どちらも涙がつきものだから」と濵さんは答えます。
わさびの花言葉は「うれし涙」です。涙もろい濵さんならではの選択であったと納得します。
「大事なのは、つながっていくこと、つなげていくこと、つなぎ続けること」
濵さんの言葉が深く胸にしみていきました。