86年間、人と荷物の足を務めたのちに幕を閉じた旧国鉄篠ノ井線がトレッキングコースとして生まれ変わりました。安曇野市が「旧国鉄篠ノ井線廃線敷遊歩道」として整備したのです。
明治の文明開化以降、国鉄は全国すみずみまで広がり、日本の近代化と共に多くの旅客や貨物を乗せて走り続:てきました。
しかし、その役割を終えて、何らかの理由で残っているのが廃線敷です。
篠ノ井線は1902年(明治35年)に全通した路線です。※
そして、1902年(明治35年)には西条駅~松本駅間が延伸開業。
その後、松本駅~塩尻駅間が延伸開業。
2022年には、篠ノ井線開業120周年記念によるイベントが行われました。
しかし、西条駅~明科駅間は山や谷が多く、山肌や岩を削り、深い谷を埋めた難工事の末に敷かれた線路です。そして、県内有数の地すべり多発地帯。開通後もいくどとなく被害に遭いました。
1924年(大正13年)には、列車が土砂に乗り上げて脱線するという惨事も発生したのです。
このような事情から、新たな線路の建設が始まり、1988年(昭和63年) から新線の利用が開始されたのです。
篠ノ井線の廃線跡は、新たな線路(新線)が開通したことに伴い、廃線となった古い線路(旧線)なのです。
昭和63年は、国鉄が分割民営化し、篠ノ井線がJR東日本になった翌年のことです。
電車で来た場合には、明科駅から歩いて往復するコースとなります。
車で来た場合には、潮神明宮に駐車場、コース反対側の折り返し地点の旧第二白坂トンネル前に大きな駐車場があり、そこから歩くことになります。
電車で来て、昔のことに思いを馳せながら廃線敷を歩くといいかもしれませんね。
明科駅起点だと、潮神明宮まで歩き、そこから廃線敷のコースが始まります。
潮神明宮に駐車して、そこから歩いてもいいでしょう。
潮神明宮 (うしおしんめいぐう)
廃線敷コースの案内板、きれいな公衆トイレもあります。
お寺と神社が並んであります。
お寺は「安国治」、神社は「潮神明宮」です。
潮神明宮は春祭りの「柴船」※ が有名です。
「潮神明宮」と書かれた駅名標(駅名板) は当時の実際のものではなく、観光用に新たに設置されたものです。
廃線敷のコースに沿って潮神明宮を出発します
明科の東側の高台を進みます。天気が良ければ、北アルプスの展望が広がります。
架線はないものの両脇に電柱(架線柱)が一定間隔で並んでいる道を進みます。
ほぼ平坦なコースです。
トンネルの全長は125m。
このトンネルは、2010年(平成22年)4月に一般公開されるまでは、通行止めになっていましたが、現在は整備され、緊急時の避難路としての役割も担うことから、トンネル内はレトロ風のランプで照らされ、雰囲気のよいものに変りました。
レンガ造りのトンネルだったのですが、1971年(昭和46年)頃、旧篠ノ井線が電化される直前に、水滴が電線に付着するのを防ぐため、天井部分にモルタルで補修しました。
トンネルにはゲートが設置されていて、開放されるのは 7:00~19:00 (冬季は7:00~17:00)。
カーブにもなっていて、長く暗いと思っていたら、人が近づくとランプが点灯する人感センサー付き電灯です。
レトロ風の電灯と古いレンガが独特の雰囲気を出してくれます。
トンネルを抜けると、一直線に真っすぐ延びる廃線敷が続いています。
線路は撤去されていますが、舗装されないまま道だけが残り、石ころはゴロゴロ、とても楽しいコースです。
距離票がありました。路線の起点(篠ノ井線の場合は塩尻駅)からの距離を示します。
(右) 塩尻駅から30kmと100mの距離を示します。
勾配標識がありました。明科側からは常時25パーミリ(1000mで25m登る、2.5%)の登り勾配です。その反対側には、明科に向けて18.2パーミリの下り坂の標識です。
ところどころに鉄道の遺構が残っています。
見張り台、踏切、軌道・・・
東平 (ひがしだいら)
(左) 明科方面に振り返った景色。遠くにアルプスが見える。 (右) 見張り台
鉄道見張り台
(左)注意書き
ここからはアルプスの山々を望むことができます。
とても景色のよい場所です。
注意書きの立て札には「牛・馬・羊などを放牧しないこと。」とあります。
「羊」とあるのは、明科地域、潮沢地区の柏尾集落では、かつてはタバコ栽培や養蚕、綿羊飼育で生計を立てる人が多かったからですね。
(左) ポイント切り替え機 (右) 特殊信号発光機で地すべりなどの災害時に使用
約3万本といわれる「けやきの森」が広がります。全国に先駆けて鉄道防備林として地滑り防止のために植林されたものが現存しているもので、全国的にまれなものです。
新緑や紅葉の時はとても綺麗な並木となります。
樹木はフィトンチッドと呼ばれる物質を発しており、リラックス効果や免疫力向上が期待できます。
中でも「けやき」は、その発生量が多いといわれています。
けやき林での森林浴は、心身ともにリフレッシュされるわけです。
また、石積み水路や地下水位を下げるためのの井戸も構築され、線路は勿論、周辺の集落を土砂の崩落から守ってきた森だったのです。
旧篠ノ井線の仮設駅があった場所で、マレットゴルフ場の造成や山野草の移植などの整備も行われました。「クラブハウス」も見られました。
鉄道の中継信号機がありました。
「進行」「制限」「停止」・・・ 点灯するライトの組み合わせでいろいろな指示になります。
「出発進行!」当時の運転士になった気分で、信号機に声を掛けてみました。
漆久保トンネルの内部
トンネル内部のレンガ
全長53m。三五山トンネルに比べるとかなり短いトンネルです。
地元では「うるしゃくぼ」と呼ばれています。
明科で焼かれたレンガが使われているとのことで(明治30年、三五山トンネルの入口にレンガ工場を築いて、レンガを供給)、明治時代の面影が残る総レンガ造りの美しいトンネルです。
芸術的に積んでアーチを描いています。
開通当時から補修工事が施されていないことから文化的価値も高いようです。
トンネル内の壁についている黒いすすは、蒸気機関車時代の煤煙の痕跡です。
ここは短く、向こうの出口もよく見えるため照明設備はありません。
このトンネルは廃線とともに鉄の扉で閉鎖されていましたが、開放を望む声が多く、扉を撤去し、トンネル内部の補修・周辺の整備が行われ、2009年(平成21年)に通行可能になりました。
小沢川橋梁 (きょうりょう)
次の漆久保トンネルの直前に沢があります。
坂を下りると、廃線敷をくぐる水路のトンネルがあります。ここも漆久保トンネルと同じようにレンガ造りとなっています。
レンガの積み方はイギリス積みで、この仕上げ方のアーチ橋は全国でも珍しいのです。
普寛(ふかん)・覚明(かくめい) 像
このトンネルの上に2人の行者の像が立っています。
トンネルの上を通る細い道はかつて、善光寺へ通じる道で、木曽の御岳山の登山道を開いた普寛( 表参道を開く)と覚明 (裏参道を開く) の2人の小さな石像です。※
トンネルができるずっと昔、善光寺参りに行く旅人の近道であったため、この道中の安全を願って立てられたといわれています。
手前に立つ普覚像の鼻が欠けています。これは、国鉄篠ノ井線を開通させる際、測量技師がこの附近の測量をするにあたり、石像の鼻が邪魔になり、人夫に鼻をゲンノウで叩いて落とさせ、見通しを良くしたためといわれています。
速度制限標識
右図の場合、左方向(矢印が方向を示す)へ進む場合は時速35キロ以下を表す。
(左) 線路脇の土手も石が積まれ、孔明きタイプの擁壁です。緑の苔がコンクリート建造物に侵食していて美しいです。 (右) 信号場の当時の写真
明科-西条間は単線で駅間も長いため、その中間に設置された列車行き違いのためのスイッチバック式の信号場です。。
柏尾(かしお) という地区では、海抜約634m。東京スカイツリーの先端と同じです。
(左) スカイツリーとの比較の案内板 (右) 信号ケーブル埋設標
旧第2白坂トンネル前の駐車場まで後少し
旧第ニ白坂トンネル前の駐車場
結構広い駐車場です。観光バスはここに駐車します。
この駐車場からさらに先に進むと、鉄製の扉で固く閉ざされたトンネルにぶつかります。
これが旧第二白坂トンネルです。
南京錠がかかっていて開きません。扉の上部に窓があります。
ここのトンネルも開放する動きが出てきています。
以上、明科の廃線敷をまとめてみました。