八面大王③

今回は八面大王についての3回目。
「八面大王」の名の付くものを紹介します。

 

 八面大王足湯

 

まずは八面大王足湯についての簡単な動画を観てください。

 

 

安曇野にある山麓線とは松林の多い県道25号のことです。
この山麓線対して、JR大糸線駅から東西に横切る道路があります。
北から「有明山通り」(安曇追分駅から) 
   「中房線」(有明駅から)
   「しゃくなげ線」(穂高駅から) です。

 


しゃくなげ線が山麓線にぶつかる辺りに、日帰り温泉施設「安曇野しゃくなげの湯」や地元産の農産物加工・販売施設「Vif(ビフ) 穂高」があります。

 

道路(山麓線)から見た Vif穂高 (左) と しゃくなげの湯 (右)

 

しゃくなげの湯の玄関

 

そして、その奥に「八面大王足湯」が見えてきます。

 



 

周遊バスの待合所が併設されています。。バスの待ち時間などに足の疲れを取ることができるんです。

 

待合所の外観(左)  待合所の内部(右)

 

屋根は銅板で葺かれた、天井と柱は長野県産の檜を使用、そして御影石の足湯。

 

ジャグジーのように、一定時間ごとに底からブクブクと泡が出ます。

 

周囲を赤松の林に囲まれ、森林浴を楽しみながらリフレッシュできるのが特徴です。
温泉の上品な香りと周囲の森林から漂う澄んだ山の空気で癒されます。

 

湯の温度を調節する「湯の滝」です。
源泉が高温のため、湯の滝で湯を滝のように流し、空気に触れさせることで適温に調節します。

 

しゃくなげの花をモチーフにした排水口が設置されています。

 

▶▶ 温泉メモ ◀◀

午前10時~午後8時まで開設 (夜間は排水)
中房温泉からの引湯で源泉100%の穂高温泉郷の湯
 (源泉は有明厚生温泉源泉と国民宿舎有明荘源泉の混合泉)
泉温40゚C (源泉が69.3゚Cと高温のため加水)
アルカリ性単純温泉で掛け流し
効能は、
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、
くじき、慢性消化器病、痔、冷え性、病後回復、疲労回復、健康増進
無料で堪能できる

 


■ 足湯建設の経過

昭和60年(1985)、「魅力ある温泉地づくり事業」の一環として噴水が設置されました(以前の場所であるロータリー交差点脇)。
平成15年(2003)に改修し、噴水を足湯として開設し、八面大王のモニュメントも整備されました。
2005年以前は屋根が付いていなかったのです。

以前の場所を示す案内表示板(左)   旧設置跡(右)

 

当時の写真です。まだ屋根が付いていません。

(写真は地元の「安曇野心やすらぐ森の宿・ノーサイド」さんからお借りしました)

当時の写真です。屋根が付きました。

(写真は地元の「カフェ&ギャラリー 安曇野縁縁」さんからお借りしました)


2016年9月、近くにあった市の宿泊施設「しゃくなげ荘」と日帰り入浴施設「温泉健康館」が閉館しました。
2016年10月、「安曇野しゃくなげの湯」が開館し、それに合わせて足湯の移設も計画されました (「しゃくなげの湯周辺整備事業」)。
2018年4月、足湯はの現場所 (元にあった場所から150mほど南側) に移設されリニューアルしました。

 

 

■足湯について補足

環境省によると、2020年3月末時点での日本の温泉地数 (宿泊施設のある場所) は全国で  2,971カ所になります。
これらの温泉地の多くに足湯は存在します。
足湯の利点は
服を脱がずに短時間で気楽に入浴できることです。
東洋で古くから実践されてきた民間療法でもあるのです。
心臓から最も遠いために血液の循環が滞りがちな足を温めることで、血管を拡張させ血流が良くなり免疫機能のアップや足のむくみの解消などの健康効果が認められています。

 

■八面大王

モニュメントである石像でできた八面大王の顔は喜怒哀楽を表していると言われています。


ユニークな表情もあり、見ていて楽しいですね。

 

 民話銘菓 八面大王


丸山 (まる山) 菓子舗

明治42年創業の穂高の老舗で、地元では人気の高いお菓子屋さんです。
ショーケースには美味しいスイーツが並びます。
八面大王の和菓子を置いているとのことで、早速尋ねてみました。
立ち寄ったのは穂高の工場店。
若い女性の店員さんが取り出してきてくれました。

民話銘菓「八面大王」

はっきりと八面大王の名前入りで包装されています。
説明書きには
ふる里に伝わる「八面大王」の物語をテーマとし、
雲の渦巻く姿を村雨生地とあっさりした小倉羊羹にて表した郷土銘菓です。
とあります。
抹茶風味の1本を購入してきました。

 

 

家に帰って、早速試食しました。
小豆がしっかりと詰まっていて、しかも上品な甘さに感激!
あの形は雲の渦巻きなのか~と八面大王の姿を思い浮かべてみました。

 

 

 ところで、なぜ 八面 ?

 

八面大王。8つの顔を持っている?
頭が8つある鬼だったのでしょうか?
場面によって8つの顔を使い分けたのでしょうか?


八面大王自体の民話(物語)がいくつもあるように、八面についての解釈もいくつもあります。


仁科濫觴記 (にしならんしょうき)


古代からこの地方で有力な一族であったのが仁科氏
その仁科氏にまつわる記録が「仁科濫觴記」です。
その中から、八面大王について簡単にまとめてみます。

時は延暦。都が平安京へと遷るその少し前のころ。
有明山の麓で、一帯の村々から繰り返し穀物や財宝を奪い、人々を苦しめる盗賊たち※1 がいた。彼らは「中分沢」(中房川) の奥にこもり、8人の首領もつ集団となった。自ら八面大王 (はちめんだいおう) と名乗った。
その悪名は都にまで届き、ついに討伐の勅命が下る。

仁科氏の家臣・田村守宮 (たむらもりのみや) ※2 率いる討伐隊の奇襲が成功し、盗賊たちはなすすべなく降参した。捕らえられた首領8人は、恨みを晴らさんとする村人たちによって成敗された。手下たちとともに盗賊は耳をそがれ、その耳は塚に埋められて、耳塚となった。

その後、盗賊の手下たちは島立 (松本市島立) にて縄を解かれ追放された。

しかし、8人の首領は、恨みを持った村人たちによって山に連れて行かれた。そして、掘った大穴に放り込まれた後、石積みにされて殺された。そのために、この場所を「八鬼山 (やけやま)[松本市梓川上野八景山 (やけやま) ] というようになった。

※1
鼠 (ねずみ) 、鼠族 と呼ばれた。
※2
「八面大王」と呼ばれた盗賊団を捕えた大将とは 田村守宮であった。この田村守宮の「田村」が征夷大将軍坂上田村麻呂の「田村」と混同された可能性はある。

 

■八面大王の名前について

また、次のようなことも指摘されています。

大王は中央の貴族または豪族の子孫であること。
大王の居住地が皇居の別称である宮城であることも興味深い。

大王」の字は王の敬称であり、親王の意味もある。
八面」とは仏像用語で、多能力を意味する。


八面大王についていろいろ見てきました。それぞれの説があり、まだまだ謎だらけです。謎を追って、ロマンを馳せてみるのも楽しいかも知れませんね。