八面大王②

大王農場に大王神社があった!

今回は八面大王の英雄伝説を追うんだよね。
それによると、八面大王は農民の味方だったんだ。
穂高に「大王わさび農場」があるんだけど、そこに連れて行ってくれるんだね。


前回は八面大王の鬼伝説を調べてみました。
前回をまだ見ていない人はこちらからどうぞ  ☞「八面大王①」
今回は八面大王についての2回目ということで、英雄伝説について追ってみましょう。
舞台は大王わさび農場です。

 

 

安曇野の人気観光スポットの一つに大王わさび農場があります。
北アルプスの山々を望む、安曇野市穂高にあります。



ここは、日本有数のわさびの名産地で、広大な農場面積は日本一を誇ります。
何と言っても、北アルプスの雪解け水で育んだ、上質なわさびで有名です。




この季節は、わさび田を覆う黒い布が目を引きます。寒冷紗 (かんれいしゃ) というネットです。太陽光を遮断し、わさび田を流れる流水の温度を15゚C以下に保つ働きがあります。

 

それでは、このわさび農場と八面大王の関連を追ってみます。
農場内の数カ所の説明板に由来が記載されていました。
少し加筆して、それらをまとめてみます。

 

 

 

魏石鬼八面大王の物語です。

その昔、桓武天皇(781~806年)の頃、魏石鬼八面大王という世にもすぐれた怪力無双の首領が、この地「安曇野」を治めていました。
全国統一を目指す大和朝廷は、
信濃の国を足がかりに東北に侵略を進めていました。
この地の住民達は、
朝廷軍に沢山の貢物や、無理難題を押し付けられて大変苦しんでいました。

 

安曇野の里に住んでいた魏石鬼八面大王は、
そんな住民を見るに見かねて立ち上がり、
坂上田村麻呂の率いる朝廷軍と戦い続けました。
大勢を相手に引けをとることなく戦い続けました。
しかし、女、子供まで巻き込み、次々と村は焼き払われていきました。
追い詰められ大王は、わずかばかりの部下をともない、有明山のふもとの岩屋にこもって、力の限り戦いましたが、ついに山鳥の13節の尾羽で作った矢に当たり、とうとう倒れてしまいました。

 

八面大王があまりにも強かったため、
再び生き返ることを恐れた朝廷軍は、
大王の身体をバラバラにし、いくつかの場所に分けて埋めました。

 

その胴体が埋められていたという塚が農場の中にあったことから、
この地は大王農場と名付けられ、
その塚は後に大王神社として祭られています。

 

魏石鬼八面大王は、大王農場の守護神であり、
安曇野を守ってくれた勇士でもあります。
大王の強靭でありながら、人を愛する温かな心は、
ここを訪れた人々にきっと伝わっていくことでしょう。

 

鬼伝説も英雄伝説も、八面大王が将軍・坂上田村麻呂と戦い、そして敗れたということは同じだね。その後、バラバラにされて埋められたことも。
大王神社、その神社が建っている大王わさび農場について調べてみたいな~

 

 

■大王神社 (だいおうじんじゃ)

地域の伝説である八面大王を祀った大王神社は、かつて大王農場の東側を流れる犀川のあたりにあり、洪水で流されてしまったものを当農場初代深澤勇布 (ふかざわ ゆういち) が移設したものです。
住民を守って倒れた大王の遺骸は、二重の棺に納められ、合戦の場から「八面大王大明神」の旗を立てて里に戻り、塚が築かれ葬られたという言い伝えが残っています。
神社は農場のほぼ中央に位置し、周辺の木々が四季さまざまな色どりを添えています。

神社入口と境内(左)  本殿(右)
拝殿と大わらじ

 

拝殿の左右の大わらじは、八面大王が大男だったとの言い伝えから、農場のスタッフが手作りし、奉納したものです。毎年5月8日はお祭りの神事が行われています。

農場には、大王が最後にたてこもったと言われている有明山の麓、宮城の魏石鬼の岩屋が再現されています。それが大王窟 (だいおうくつ) です。
その隣りに開運洞 (かいうんどう) がありますが、開運洞の奥には七福神が祀られていて、それに触れると幸運が授かるとのことですが立入禁止でした。

「大王窟」 と 「開運洞」 の2つの入口(左)    大王窟の入口(右)

 

大王窟の中の様子(左)   開運洞は立入禁止でした(右)

 

大王窟の上には祠が建っていました



▶太陽の石 (八面大王の見張り台)

空高く積み上げられた築山を「大王さまの見張り台」と名付けられました。
頂上からは、わさび田と北アルプスが一望できます。

「大王さまの見張り台」 階段は2ヶ所に設置

 

太陽を表す石(左)  道元禅師像(右)

 

大王農場の先駆者(開拓者)である初代深澤勇布 (1886~1941) は、運命のすべてを魏石鬼八面大王に委ねましたが、これを継いだ二代深澤勇布は大王農場の精神の拠りどころ「農場の心」を、まさしく太陽に求めました。
二代勇布は晩年に「八面大王の見張り台」と称する石積みの頂上に球状の白御影(しろみかげ)石を荒彫りしたものを置きました。それは文字とおり「太陽」を表しています。
崇拝した道元禅師像 (細川宗英作青銅製) をこの見張り台の西側向かいの「アルプス展望の小路」の一角に安置しましたが、その際、道元大師の視線をこの「太陽の石」と結んでいます。二代勇布の心からなる着想であったようです。
尚、下方にある「大王洞」「開運洞」もやはり二代勇布の発想によって設置されました。

 

 

■大王わさび農場って?

農場創始者は深澤勇市。
大正4年(1915)、豊富な湧き水を利用するわさび田の開拓を思い立ちます。
2年かけて土地を取得し、大正6年に開墾を開始します。
農閑期の農民たちの手作業で、雑木の生い茂る湿地帯(一部桑畑)を切り開き、掘っては堤防を築き、冬の厳しい寒さや水害など幾多の苦難を乗り越え、昭和10年(1935)完成します。
現在、散策道の一部となっている小高い丘は、全て掘り出した土や石を積み上げた場所です。
農場の名前は「深澤山葵(わさび)園」でしたが、八面大王の胴体が埋められたとされる塚が農場内にあったことから「大王わさび農場」と改め、大王を祀るための神社を建立しました。
八面大王には、紅葉鬼神 (もみじきじん) とよばれる妻と、真国 (まくに) という男の子がいたとされ、今では安曇野の守護神として人々の信仰を集めているとも言われています。

正面入口横に設置された八面大王家族の像

 

創業者の銅像が農場内に建っています。

初代 深澤勇市 (1886-1941) <写真左> と 妻の一恵 <写真左から2番目>
二代 勇市 (本名増夫) <写真左から3番目> と 妻の真寿美 <写真右>
 (「勇市」は深澤家の世襲名)  ※三代当主は深澤沖正


 【参考】創業者の深澤勇市について、安曇野市教育会の資料 も参考になります。

 

▶彫刻

農場内には彫刻が多いですね。
二代勇市 (襲名前は増夫) は”文化人”であり、とりわけ彫刻美術に造詣が深かったと言われています。
裸婦や子供のブロンズ像を場内に配置しています。
安曇野のイメージを農場内に再現するために「道祖神」の収集にも力を入れました。

「安曇野の子供達」(左) 「こもれび」(右)

 

「子供の群像」(左)  道祖神 (右)



巨匠 細川宗英 (1930-1994)の「道元」や「腰かけて居る女」は優れた作品です。
「腰かけて居る女」は「百年記念館」の中央に据えられています。
(2017年、農場の開拓が始まって100年を記念し、開墾の歴史とわさびについての資料館として「百年記念館」が開館しました。)


他の作品は主に高嶋文彦 (1940-2004) によるものです。
(高嶋文彦は安曇野が生んだ現代日本有数の彫刻家の一人です。)

 

 

▶小川とボート体験

正面入口から入って左手にしばらく進むと、小川と風情のある水車小屋があるのに気づきます。黒沢明監督によるオムニバス映画『夢』の第8話「水車のある村」のロケ地で、撮影のために建てられたもので、そのまま農場が譲り受けて保存されています。
澄んだ水の美しさが際立ちます。
そして、その底まで見える小川で、ライフジャケットを身に着けてクリアボート体験を楽しむ人たちの姿が。

 

大王わさび農場配布のガイドより

 

その他、大王わさび農場に関する様々な話題は、別の機会に述べてみたいと思います。