「奉射」と書いて「おびしゃ」と読みます。
奉射祭は、毎年3月17日午後3時より斎行される穂高神社の特殊神事です。
北アルプスに残雪が輝く安曇野に春を告げる祭事と云われています。
平成21年(2009年)9月に安曇野市無形民俗文化財に指定されています。
「ココブラ信州」と言います。「NPO法人安曇野ふるさとづくり応援団」(2006年設立)の姉妹団体です。
ココブラ信州の活動紹介文より
「既存のモノ主体のツアーではなく、案内人(ヒト)の個性を通じ、楽しい体験や観光をする新しいツアーです。現在は主に長野県松本市、安曇野市、塩尻市周辺で実施中です。」
すなわち、「案内人(ヒト)」を重視したまち歩きで、バラエティに富んだジャンルのまち歩きを行っているのです。
3月10日(日)午後、ココブラの標題のコースに参加しました。
案内人は穂高弓道会副会長の渡辺晃氏。
御船会館と境内にある弓道場を案内していただきました。
『古事記』に、大国主命が「生太刀、生弓矢を持ちて八十神を追い払い」とあります。
矢を放って邪鬼を追い払い、「天下泰平」「家内安全」「五穀豊穣」「殖産興業発展」を祈願する祭事であるのです。
平安時代から朝廷はじめ全国の大きな神社で行われていました。
穂高神社では、旧暦では1月17日に斎行されていましたが、新暦※になってからは 3月17日 に行われるようになりました。
旧暦では暦を月の動きに合わせていましたが、新暦では太陽の動きを基準としました。
新暦は明治6年(1873年)から使われています。
(明治5年12月2日(旧暦)の翌日が新暦の明治6年1月1日と定められました。)
3月17日、今年は日曜日でしたが、午後3時からの神事を見学に穂高神社に行きました。
祭典が奉仕され、献饌 (けんせん) ※1 の後、奉幣(ほうへい) ※2 行事、玉串拝礼が行われます。
※2 奉幣……神前に幣帛(へいはく)を奉献すること。
そして、その後に弓矢行事が行われます。
神楽殿前に大的 (おおまと) を掲げ、拝殿より宮司をはじめ神職が、白羽の矢を射るのです。
射る順番は
宮司 (ぐうじ) が「神の矢」を丑寅 (うしとら、北東) 方面に、続いて権宮司 (ごんぐうじ) が「殿 (との) の矢」を辰巳 (たつみ、南東) 方向に放ち、四方の邪鬼を払います。
この後、神職が交代で12本の矢を大的に向けて放ちます。
12本は12ヶ月を表し、的中率によって月々の天候、豊凶を占う意味を持つのです。
明治時代までは祭典の後、「神の矢」は神殿の奥に納められ、「殿の矢」は松本藩主に奉納されていました。
今では、奉射が終わると、氏子たちが我先にと大的を壊し、その破片や矢を奪い取るようにして、家に持ち帰ります。
この矢や的の破片は、魔除け、豊穣の御守りとして神棚や戸口に供えられます。
昔は、この破片で風呂の焚き付けにして入浴すると、一年間無病息災で過ごせると云われたそうです。
弓は長さは5尺2寸(1.6m) の桑の棒が用いられます。かつての養蚕が盛んだった頃の名残と考えられています。
矢は、昔は小岩嵩 (こいわたけ) より奉納されました。
12本の矢は鏑矢 (かぶらや) で鷹の羽根が使用されます。
直径は5尺2寸(約1.6m) の円形をしています。
檜またはさわらを薄板割にしたものを網代状に組んだものです。
的の裏の中央には、「甲」「乙」「ム」の3字を組み合わせた組文字が白紙に書いて貼ってあります。「甲乙なし」と読みます。これは「鬼」を表しており、また「平等である」という意味も含んでいます。
「おびしゃ」は、関東地方の新年行事で、特に千葉県の利根川沿いや九十九里沿岸の地方で多く行われています。
「おびしゃ」には、「奉射」「奉謝」「奉社」「備射」「備社」「鬼射」「毘舎」「毘沙」などの字が当てられていますが、元々は「御歩射(おぶしゃ)」が訛ったもので、馬に乗って弓を射る「騎射」(「流鏑馬(やぶさめ)」) の行事に対し、立って、あるいは座って弓を射る徒歩 (かち) 弓の行事を「歩射 (ぶしゃ)」といったのです。弓を射り、その命中度で吉凶や豊作凶作などを占う農村の神事でした。「奉射」「備社」は神事から来ており、また「毘舎」「毘沙」は神仏混淆 (しんぶつこんこう) から来ているとされています。
穂高神社の場合、奉射の名称は次のように移り変わっています。
「歩射」(1501) → 「歩社」(1573) → 「武射」(1733) → 「奉射」(1826)
安曇野市のあたりは、明治時代には稲作農家より養蚕農家の方が多く、6千戸あったと云われていますが、現在は家蚕についてゼロのようです。
奉射祭は、神職が12本の矢を放ち、的中率によってその年の天候や豊作を占う特殊神事でした。
かっては「蚕穀豊成」のお札を配り、サワラの薄板できた大的の破片を持ち帰り、掃き立ての箸にして蚕作の安全を祈ったと云われています。
現在でも、弓は桑の木が使われています。
お札の左上に「蚕穀豊産」の文字が記されています。