穂高神社①

 穂高神社御船祭

 

穂高神社 について紹介していきますが、「御船祭」から入っていこうと思います。
まずは先日行われました御船祭について、動画を編集しましたので、そちらをご覧ください。

 

■ それでは御船祭についてみていきます

 

舞台は安曇野市穂高にある穂高神社です。

 

穂高神社の例祭である「御船祭」が 9月27日 に開かれました。

 

この日のために、山車(だし) の準備が進められてきました。穂高神社例大祭の山車は大小5隻の船形です。

 

お船には、それぞれに時代絵巻を思わせる穂高人形が飾り付けられます。
歴史上の名場面や人物を表現した人形などです。

 

(左)(右) ①「決戦・関ケ原」

(左) ②「三方ヶ原の戦い」  (右) ③「椿伝承」

(左) ④「安曇比羅夫出陣」  (右) ⑤「西遊記より 三蔵法師旅に出る」
今年は次の5話です。
「決戦・関ケ原」 …… 戦国時代の徳川家康と石田三成が関ケ原で戦った決戦
「三方ヶ原の戦い」…… 武田信玄が徳川家康を三方ヶ原で追い詰めた戦い
「椿伝承」  ……   徳川軍から引間 (引馬、ひくま) 城を守るために戦ったお田鶴(たづ)の方の伝承
「安曇比羅夫出陣」…… 安曇野を切り開いた安曇族の英雄・安曇比羅夫が百済に出征した話
「西遊記より 三蔵法師旅に出る」 …… ひとりで旅に出た三蔵法師が孫悟空らを助け、お供にして旅を続ける話

 

大人船2隻・子供船3隻の計5隻は地元の地区ごとに分担されます。

大人船2隻……「穂高町・等々力町両区」「穂高区」
子供船3隻……「等々力町区」「穂高区」「穂高町区」

当日12:00  お囃子方(はやしかた) を乗せた船が町内を引き回します。

 

お船の前側を男腹、後方を女腹といいます。
男腹には男性の着物、女腹には女性の晴れ着がかけられ、鮮やかに彩られます。
「着物を奉納した人は健康でいられる」といわれています。



その後、穂高神社の境内に集結し(船揃)、祭典での出番を待ちます。

 

午後3時に祭典が始まります。

 

3隻の子供船が神楽殿をそれぞれ3周して境内を去ります。

 

その後、大人船2隻が境内に入り、拝殿の前で男腹と女腹を激しくぶつけ合います。
コロナウイルスの影響で、このぶつかり合いは4年ぶりとなりました
その様子は勇壮豪快そのものです。

 

ぶつけ合うことで「子孫繁栄」や「五穀豊穣」などを願うのです。
氏子たちの「押せ押せ」の声が飛び交います。
笛や太鼓、鐘などのお囃子の青年たちが乗り、ぶつかり合っても、中のお囃子方は演奏を続けます。
海の戦いに挑む、武者の血をかきたてるような壮大な場面です。

 

 


    ■■■ 補 足 ■■■

① お祭りの日が 9月27日 なのはなぜ?

安曇野を切り開いた安曇族の英雄に安曇比羅夫 (あづみのひらふ) がいます。安曇比羅夫は百済救援の外征軍の大将軍として朝鮮半島に出征します。
しかし、日本・百済の連合軍と唐が戦った白村江 (はくすきのえ) の戦いで、安曇比羅夫は663年8月27日に敗れ戦死します。
命日である8月27日を月後れ(新暦)に置き換えて、9月27日を祭りの日に定めたのです。

② お船祭りがあるのは穂高神社だけですか?

穂高神社の御船祭は、県の無形民俗文化財に指定されています(2009年4月20日指定)。
その他にも、お船を山車などに使う祭はたくさんあります。
安曇野市ですと
(うしお)神明宮 例大祭 柴舟 [安曇野市明科 5/4~5]
熊野(くまの)神社 お船祭り [安曇野市三郷明盛 (みさとめいせい)  8月最終土日]
住吉(すみよし)神社 御船祭り [安曇野市三郷温 (みさとゆたか) 4月最終土日]
重柳(しげやなぎ)八幡宮 祭り舟 [安曇野市豊科南穂高 秋分の日]
これらは安曇野市無形民俗文化財に指定されています。
「御船」「柴舟」「山車」など、地域によって名称は異なっています。
尚、熊野神社のお船は、大きさが安曇野市の中で最大であるといわれています。
また、お船祭りは安曇野だけでなく、諏訪地方(諏訪大社下社)でも行われています。

③ 神楽殿を三周する?

「オフリョウバタ」

3つの菱形が重なった旗を三階菱 (さんがいびし) といいます。
鼠穴地区の茅野氏の紋所です。
大庄屋であった茅野氏にオフリョウ奉仕を命じられた証しの旗とされています。
この旗を先頭に、それぞれの地区の旗を持った隊列が神楽殿の周りを三周します。
そして、この隊列の後、各お船も神楽殿の周りを三周します。
この神楽殿を三周する行事を、昔から「オフリョウが渡る」「オフリョウを渡す」と言われてきました。
お船祭では欠かせない重要な神事です。
先頭に掲げられるこの旗が到着しないと祭りが始められない慣わしがありました。

オフリョウは、「御布令」「御布領」の字をあてられていますが、
江戸時代の資料では「御振穂」「御振料」「御風流」などの文字もあてられていました。
「穂高神社の御船祭と飾り物」では、オフリョウは「風流」(祭りの華やかな出し物、練り物)の意と考えられます。