有明山神社

有明山神社 (ありあけやまじんじゃ)

それでは有明山神社の境内を回ってみましょう。
有明山神社は有明山の麓の宮城 (みやしろ) にあります。
春は桜の名所で有名なスポットとなります。

 

御神体 (ごしんたい)

有明山を御神体とする山岳信仰の神社です。
有明山については前回の記事をご参照ください。(また、別途、詳しく述べる予定です)
宮城に里宮、有明山山頂(2,269m) に奥社があります。
毎年7月中旬には「有明山登拝(奥社祭)」が行われています。

  有明山神社社務所発行ガイドブック「有明山神社」より

 

鳥居
[表鳥居]表参道の鳥居です。
     昭和16年10月に建立されました。


[南鳥居]南参道の鳥居です。
     平成11年4月に建立されました。



禁札 (きんさつ) 
   制札 (せいさつ) とも呼びます。

 

参道


表鳥居をくぐると、黒松並木13本が続きます。
春には参道に植えられた約200本の桜が見事に咲きます。

 

 

手水舎 (てみずや、てみずしゃ、ちょうずや、ちょうずしゃ)


市の有形文化財に指定されています。
明治35年(1092)、飛騨の匠山口権之正の作による見事な彫刻が施されています。
正面には「麒麟と鳳凰」、裏面には「鷹と虎」
右側面には「龍」、左側面には「牡丹と親子茄子」
天井には欅(ケヤキ)の一枚板に「龍」

 

 

裕明門 (ゆうめいもん)


市の有形文化財に指定されています。
明治35年(1092)、日光東照宮の陽明門を模して建てられました。
柱が8本あるため、「八脚門」(やつあしもん) と言われます。
12支・24孝 (にじゅうしこう) 物語の彫刻が施されています。
清水虎吉による素木作りの彫刻です。
 (※24孝とは……中国で親孝行で有名な24人のお話のことです。)

 

 

 

 

 

 

 


内部には35枚の格天井絵 (ごうてんじょうえ) が描かれています。
村田香谷による動物の絵です。


正面入口両脇には随身 (ずいじん) 2体の銅像が並んでいます。(※随神とも呼ばれています)
口を開いて右膝を立てているのが矢大神
口を閉じて左膝をたてているのが左大神



背面出口両脇には白と黒の神馬 (しんめ) が置かれています。



案内の碑には、次のように記されています。


「明治35年(1902)に日光東照宮の陽明門に模して建てられた裕明門は、和洋に唐様を混ぜ精巧美麗を極めた切妻軒唐破風付八脚門で、内外部の彫刻は12支・24孝などを立川流彫刻師清水虎吉が彫り、格天井絵は京都の画家村田香谷が画いている。手水舎は飛騨の匠山口権之正の作で、虹梁・天井に彫刻が施されている。」

 

 

狛犬 (こまいぬ)
明治時代の作です。向かって右側が阿形 (あぎょう) と左側が吽形 (うぎょう) です。

 

 

開運招福の石


平成15年に建立されました。
「この記念碑は明治二十四年に全国から集められた短歌が当神社の社宝として保管されて来ましたが、今度「残月集」として発刊され、これを記念して作られたものです。
東面に「吾唯足知 (われただたるをしる)
    
<分に安(やす)んじて貪(むさぼ)らない>
西面に「吉呼員和 (きちよんでかずわす)
    
<喜びを集めて和やかに>
(石の中央の口をそれぞれの字の上下左右につけて読む)
石は直径1.55米、厚さ0.3米、重量2.4トン
開運招福の石としてこの四角をくぐりぬけて吉運を集めて下さい。
日本に一つしかありません。
尚、怪我のないようにくぐって下さい。」

 

 

拝殿 (はいでん)

 

拝殿は祭祀・拝礼を行う場所です。
本殿(神殿) は神霊を宿した御神体を安置する場所のことです。
即ち、本殿は神のための建物、拝殿は人間のための建物といえます。
有明山が神体山のため本殿はありません。
有明山神社では氏子を持ちません。そのため、講社を結成(有明講)し、それに関する社が講社本殿です。
(講社とは、同じ神仏を信仰している人々で結成している団体のことを一般にいいます)
尚、社殿とは神社の建物のことで、拝殿・本殿などをまとめて社殿といいます。

 

 

祭神 (さいじん)
神社に祀られている神様のことです。
(御神体とは異なります。有明山神社の御神体は有明山です)
有明山山頂に祀られている御祭神について

有明山頂中岳本社
   手力雄命(たじからおのみこと)
   八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)
   大己貴命(おおなむちのみこと)

有明山頂南岳本社
   天照大神(あまてらすおおみかみ)
   天鈿女命(あめのうずめのみこと)
   金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)


いくつか紹介すると

手力雄命 (たぢからおのみこと)
天の岩戸に隠れた天照大神が外の様子を伺うために顔を覗かせた時に、天の岩戸を投げ飛ばした力の神
<ご利益> 技芸上達、スポーツ向上、家内安全、開運招福、厄除け、五穀豊穣

八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)
天の岩戸に隠れた天照大神を、岩戸の外に出すために、名案を考えた知恵を司る神
<ご利益> 家運隆昌、出世開運、技術向上、学問・入試合格、木工職人守護 

大己貴命 (おおなむちのみこと)
大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名で国造りを行った神
<ご利益> 縁結びの神、子授の神、夫婦和合、医薬、病気平癒、産業開発、交通・航海守護、商売繁盛、養蚕守護、五穀豊穣

天鈿女命 (あめのうずめのみこと)
天の岩戸に隠れた天照大神を、岩戸の外に出すために、岩戸の前で踊って誘い出した女神
<ご利益> 芸能上達、武芸全般の守護

 


岡村阜一(おかむら ふいち) の銅像
明治時代に有明山神社を再興し、社殿を建てられました。

 

 

神楽殿 (かぐらでん)

 

神楽殿天井絵
高尚優美で価値があり。"安曇野の宝" と呼ばれています。
51名の日本画家により描かれた82枚の板絵作品が組まれています。


橋本雅邦(明治画壇の巨匠)の「烏」の絵が有名です。
尚、後に北村西望画「梅」(天井絵)が神楽殿に献納されました。

  (左図・中図 は有明山神社社務所発行ガイドブック「有明山神社」より)

 

妙見(みょうけん)里の瀧
拝殿の右側、渡り廊下をくぐったすぐ先にある小さな滝です。
法壽龍神 (ほうじゅりゅうしん) が祀られている。

 


額殿 (がくでん)
信者の奉納する額を掲げ納めておく堂です。
橋場の旧社殿を移築したものです。
中に茅の輪(ちのわ)くぐりの輪となる芯が置いてありました。

 

 

残月集 (ざんげつしゅう)
明治30年(1897)8月1日発刊の和歌集です。
市の有形文化財に指定されています。
全国各地の一流の歌人、著名人から、「有明山」「ありあけ」にちなむ和歌を収集し、編集発行された文集です。
社宝として保存されています。

 

 

長生殿 (ちょうせいでん)
不老長寿のご祈祷が行われます。

 

 

餅つき岩


信仰心の篤い人が、有明山神社奥社へ登拝する際、中房川の清流で身を清め、この岩で餅をついて保存食にして携行したのです。

 

 

駆逐艦「有明」御分霊塔


昭和10年に建立されました。
旧帝国海軍の駆逐艦が神戸川崎造船所において建造された折、艦名を「有明」と命名されたのです。
有明山大神様を守護神として奉斎されました。

 

 

紋章


有明山神社整備に協力した松本藩主の流れをくむ戸田家の家紋と同じ図柄です。

 

 

御朱印 (ごしゅいん)

神社でいただいた御朱印をよく見ると
神社名(有明神社)の「明」の字の偏が、「日」ではなく「目」になっています (眀)。
「明」という文字は、窓から見える月明かりを表わしています。
偏の「日」は太陽ではなく「窓」を表わしており、
古くは「囧(ケイ)」と書き、囧と月を合わせて「朙」と書いていました。
その後簡略化されて「明」と書くようになったのです。
確かに鳥居の社号額に書かれた「明」の字も眼偏 (眀) になっています。

 

※安曇野市の有形文化財に指定されているものは次の通りです。
  「手水舎」
  「裕明門」
  「神楽殿格天井絵」
  「残月集」

 

穂高の散策を続けます~